2019年に初めてダンス・オブ・ヴァンパイアを観て、2025年公演が2期目の観劇です。
2025年は観られるのが初日のみでしたが、そのおかげでクンツェ氏の言葉も聞けました。
初日の公演の感想はこちら
https://x.com/hyuga_kabocha/status/1921122808492417151
に書いています。
どうしても観たかった、山口祐一郎さんの伯爵、石川禅さんの教授、駒田一さんのクコールの組み合わせでまた観ることができて、本当に幸せです。大好き!
という大好きを叫ぶ感想はいくら書いても書ききれないのですが、以下では、感想というよりも19年に観た時から気になっていた、この作品におけるヴァンパイアとは何か、欲望と理性とは、クコールの死の意味とは、などについて考えたことをつらつらと書いています。
書いていますが、クンツェ氏の言葉を聞くと、この物語のメッセージとしては25年公演プログラムで山口祐一郎さんがコメントしていることが核心だと思いますし、20年間伯爵を演じてきた人がこれを発信するのは本当にすごいことだし、さすがだし、大事なことだと思いました。戦争は、欲望の暴走が生み出すものの中でも最たるものですからね……
まず19年公演について、物語のラストは大幕の教授の肖像が伯爵へと変わっていく演出でした。これを見て私は「欲望と理性は表裏一体」という意味かなと解釈しました。
そもそも欲望を象徴するヴァンパイアの頂点にいるクロロック伯爵はヴァンパイアの中でいちばん理性的ですし、理性や論理を掲げる人間である教授は知識欲と名誉欲で動いています。対立してはいますが、どちらもこれまで自分を慕う息子や従僕や弟子はいても同レベルで語り合えるような存在はないという孤独があり、それを埋められるのはお互いしかいないような伯爵と教授は、よく似た鏡合わせの存在のようでもあります。
そして表裏一体だからこそ、どちらかが完全に勝利した瞬間、それは破滅を意味するのかなと思いました。物語終盤、伯爵の側にいた人間のクコールは死に、教授の側にいた人間のアルフレートはヴァンパイアになります。伯爵と社会、教授と社会をそれぞれつないでいた者を失って、物語は結末へ。
アルフレートを失ったことに気づかない教授が虚しい勝利宣言をしている時にはヴァンパイアが勝利していますが、それは同時にヴァンパイアの破滅でもあるかと思います。ヴァンパイアが完全に勝利して人間がすべてヴァンパイアになるということは、血の供給はなくなり、社会を回す人間もいなくなる(※クコールが宿屋にろうそくを買いに来たことからもヴァンパイアも人間社会に依存している)ということなので。
ですので、欲望が良い/理性が良い、どちらが勝つ/負けるという問題ではなく、どちらかが存在し続けるためにはもう一方が必要であることに向き合わないと、一方を失ってしまうと破滅するという話かなと思いました。
(25年版の祐様伯爵は舞踏会から脱出していく3人を切ないような苦しいような残念なような複雑な表情で見ていたと聞いて、伯爵はディナーとして教授たちを招き入れながらも、内心どこかで、ヴァンパイアを研究しているアブロンシウス教授に、支配者たる欲望の暴走を止めヴァンパイアという己の存在を知る手がかりとなること、ヴァンパイアの存在を補完することを期待していたたのではと思いました。)
そこから2025年のTdV初日、カーテンコール後にクンツェ氏の言葉を聞きました。東宝が動画アップしてくれるのを待っていますが、私の記憶だと
・この作品は(アルフレートの?)成長の物語である
・この作品はアイロニーに溢れた作品である
・ヴァンパイアは架空の存在だが、ヴァンパイアのような存在は実在し、特に現在はそのような存在が増え続けている。我々はこれに抗わねばならない
といった内容だったと思います。
19年観劇時は、この作品は真剣に考え受け止めるべきなのか、何も考えずに楽しさとエネルギーに身を任せてよいのか迷っていましたが、この言葉を聞いて唸りながら考えたのが、以下のことです。
※作品の原義的にはこうなんじゃないかなという話で、演出や俳優を批判するものではないのでそこはくれぐれもよろしくお願いします。
カーテンコールを見ると、死んだクコールと、何も気づかず村を離れた教授だけがヴァンパイアの衣装を着ていないので、その後、村人は全員ヴァンパイアになったし、おそらくそれが世界に広がっていったと考えられます。そしてその後、観客までが欲望のままヴァンパイアのダンスを踊り始めてヴァンパイアになる。遠巻きに見ているだけの人間だったはずの観客は、楽しさと狂乱に押し流され考えるのを止めて欲望のままに踊るあの瞬間、まぎれもなくヴァンパイアになっているわけで。
なのでそこにこのクンツェ氏の言葉は衝撃が強かった。そしてクンツェ氏の言葉を踏まえると、我々が抗うべきヴァンパイアが勝利したこの物語は皮肉に満ちたバッドエンドです。では、我々が抗うべきヴァンパイアとは何か。
シャガールが物語序盤で、みんな「血」か、血でなきゃ「金(かね)」を他人から吸う、みたいなことを歌っていて(わざわざユダヤ人であることが明示されているシャガールにこれを歌わせるのがえぐい)、欲望のままに求める「血」はおそらく「お金」の比喩で、ヴァンパイアは、欲望のままに他人のお金を搾取して生きる人間の比喩かなと思います。 (搾取の最もひどいものが金のみならず命も搾取する戦争)
これに何も考えずに従って搾取に加担する人間(クコール)もいれば、距離をとりつつ生きるために搾取を受け入れる人間(村人)もいる。そこに外の世界からやってきて搾取構造をおかしいと指摘し壊そうとする人間(教授やアルフレート)もいる。
ヴァンパイアが十字架を嫌がる理由はいろいろな説がありますが、ユダヤ人で十字架が効かないシャガールを出すことから「キリスト教徒として生きていたころの自分やその倫理観を思い出して今の己の姿を恥じるから」説をおそらく採用していて、ヴァンパイアに十字架を見せることは、欲望のままに他人を搾取する人間に倫理観をつきつける行為にあたるのかなと。
そして考えることや倫理観を放棄して「楽しければよい」「深く考えなくてもよい」と生きることは最もヴァンパイアの獲物にされ、ヴァンパイア化する人間の思考で、最後にそうやってみんなで踊るのは、楽しければ楽しいほど痛烈な皮肉にもなるという……。(楽しむことを批判するのが主題ではなく、考えること自覚することを忘れるな完全に支配されるなということが主題だとは思います)
クコールが死を迎えるのは初見時とてもショックを受けたのですが、たぶんこれは日本版のクコールが愛されすぎているゆえのような気がします。おそらくクコールは原義的には、自分で考えずに自分より上の者に命令に盲従する人間として、逃げ出した人間たちを吸血鬼のディナーの場に連れ戻すという殺害行為への加担の命令にも従う人間として描かれているのではと思います。
(欲望の最たるものとして戦争をあげましたが、戦時には「上の命令だから」と密告したり引き渡したりすることで、直接手を下さずとも相手を死に追い込む加担行為があるわけです。ホロコーストの時の一般市民とか……)
ですのでクコールが伯爵の命令に従ったことで「死」を迎えるのは、自分の頭で考えずに盲目的に上の者に従い他者へ加害しようとすることは自らの破滅へとつながるということを強く示さなければならなかったのかなと。
でもクコールはおそらく差別され排除された結果ヴァンパイアの下でしか生きられなかった人間であり、このように社会から排除された結果搾取する側の道具としてしか生きていけない人間が現実にはいるわけで、その人間が命令のせいで死を迎えるのはつらい。しかもその人間が死んだ一方で、ヴァンパイアは勝利を謳歌していて、それも含めての皮肉なバッドエンド……。
そしてここまで「抗うべき」とされるヴァンパイアに、クロロック伯爵に、「抑えがたい欲望」というヴァンパイアの感情を語り観る者の心を震わせるような大曲を歌わせる意味はずっと考えているのですけれど、その後の教授のあまりに見事な「くだらん」を聞いて、「欲望」と「理性」、「ヴァンパイア」と「人間」との間を動くとき、この「感情」もとても重要なものだからかなと思いました。
伯爵はこれほどの感情を抱えて長い時を生き続け、教授は抱えていた感情を切り捨てて見ないようにして生きてきた。この物語で伯爵が勝利して教授が敗北した要因は「感情」の扱い方のような気もします。
シャガールやマグダは欲望というよりも情(感情)でヴァンパイアに近づいてヴァンパイア化したし、シャガールの復活を防げずマグダまでヴァンパイア化したのは教授がレベッカの感情を軽く見積もりすぎたためだし、ヴァンパイアに勝利する最大チャンスだった霊廟で失敗したのもアルフレートの感情を考慮していなかったからだし、アルフレートのヴァンパイア化を防げず、ヴァンパイア化にも気づけなかったのもアルフレートの感情を見誤ったからだし……教授の敗因はヴァンパイアの中にも人間の中にも存在する感情を意図的に切り捨てて直視しなかったこと、軽視したこと、感情よりも理性と論理を優先したことではと思いました。
感情は欲望とのほうが相性が良いかもしれませんが、だからこそ教授は向き合わないといけないものだったのかも。理で人を諭そうとする人は、情をおろそかにしがちで、それで人が離れていくのもとてもよくあること。
とはいえ、美しい姿の者が美しく深い声で感情を切なく激しく語るのは、観るものの感情を動かす力が強い。大衆の欲望を刺激して扇動するものは今も昔も美しい姿や声や言葉で大衆の感情に訴えかけ、理性や理論から人々を遠ざけるものだから、クロロック伯爵はそのような存在でなければならないし、その存在が魅力的であればあるほど、それに観客が魅了されればされるほど、現実世界で感情のままに欲望のままにヴァンパイアにならないように気をつけなさいという作品からの警告になるのかなと。
そんなクロロック伯爵をずっと演じている山口祐一郎さんが、この作品の公演プログラムにあのコメントを載せたのは本当にすごいし大事なことだと思いました。
以下は、作品に出てくるヴァンパイアや人間を分類して考察できないかなと思って分類しようとしたけどよくわからなくなったものです。いちおうメモ。
ヴァンパイア
① 強い欲望と強い理性を持つヴァンパイア(クロロック伯爵)
② 欲望と理性(利他精神)を持つヴァンパイア(ヘルベルト)
③ ヴァンパイアになりたてで自我をもつヴァンパイア(シャガール、マグダ、サラ、アルフレート)
④ ヴァンパイアになって長く、自我を失い欲望に支配されているヴァンパイアたち
教授たちの舞踏会脱出時、父上や他のヴァンパイアのためにも苦しみながら巨大十字架を壊しに行ったヘルベルトは欲望以外のもののために動けるヴァンパイアだし、物語の構造的にクコールくらいちゃんと存在意義があると思うのだけれども上手くまとまらず……。
人間
① ヴァンパイアを戦うべき相手として研究し対抗する人間(アブロンシウス教授)
② ヴァンパイアに魅力を感じる人間(サラ)
③ ヴァンパイアの側でひたすら従順に仕える人間(クコール)
④ ヴァンパイアを遠巻きに見るだけの人間(村人)(=観客)