hyuga_kabocha(まっきー)のブログ

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ミュージカルタイタニック2018大阪公演感想

 20181019日、日帰りで大阪遠征して、ミュージカル「タイタニック」を観てきました。


 ミュージカル「タイタニック」の観劇は今回が初めてで、観劇予定はこの1回のみ、一観入魂です。ついでに梅田芸術劇場も初めて、飛行機で大阪入りも初めてなので伊丹空港も初めて、という初めてづくしでしたが、とても楽しかった!


 そしてとても楽しみにしていた「タイタニック」。終演後は圧倒されて、何からつぶやけばよいかもわからない状態でした。


 私の大好きな石川禅さんのイスメイを楽しみに観に行き、イスメイについてはそれはもう期待以上で
「この人のファンで本当に良かった禅さんがこの役に出会えて良かった
と放心しながらつぶやくレベルだったのですが、それに負けないくらい他の1人1人の役が背負っているストーリーも、それを最大限に見せつける演出も、感情をかき立てる音楽も、役者さんたちの力量もどれも素晴らしく、ただただ密度と圧に圧倒されました。そして最小限の人数で、役替わりしながら演じていく手法も本当に見事でした。大好き。
 
 1幕で予想外にぐっときたのが、上口耕平さんの通信士ブライドでした。上口さんはシスアクでのカーティスの子分ズ・パブロでしか拝見したことが無かったのですが、コミュ障オタが「通信士やってると良い人ではいられない」と暗い顔で語った後に、藤岡バレットと仲良くなり、彼のために電信を打つシーンで生き生きと明るい顔をしているのを見たらなんだか涙が出てきて。


 今回前から2列目センターの良席で、2人の表情がはっきり見えたのですが、本当にブライトの表情が良かったし、それを乗せる音楽も良くて。
観劇後にYoutubeでオリジナルキャストのこのシーンの動画を見たのですが、音楽が流れた瞬間に涙が出てきて自分でもびっくりしました。

 バレットと出会い、生き生きとし始めるブライドに、「甘い話が好きなのかい?」とちょっとズレたバレットもいい。同世代との交流なんてバレットにとっては何でもないことだからよくわからない。でもそんな真逆の2人が、力を合わせて夜空を飛び、プロポーズをする。どちらか1人だけでは決して起こることのない奇跡。
 
 1幕には様々な「希望」があふれていて、その中でもどれがいちばん心に刺さるかは人それぞれだと思うのですが、私はこのシーン。
コミュ障オタなブライドにいちばん自分を重ねたのかな。

 
 そして2幕で涙腺決壊したのが、「なぜボートを譲ったのか」に対する藤岡バレットの「だってあいつは乗客だろ」の台詞。


死を前にして、身分も立場もわきまえすぎてて、真っ直ぐすぎてつらい。陸で待つ恋人にも「未亡人にしなくてよかった」って!そんなやつがあるか!(泣) 


 どちらの台詞も予習で知ってはいたのですが、それでも声を出さずに泣くのに必死なくらいぼろぼろ泣いてしまいました。予習無しで観てたら絶対に嗚咽してたと思う。そしてそんなぼろ泣きから自分を立て直すのに必死になっていたら、イスメイが救命ボートに乗るシーンを完全に見逃しました。
完全に不覚。気づいたらもうイスメイはボートに乗っていて、ボートが船を離れる直前だったという。ほんと目が足りない。何度でも観たい。

 

 この、「乗客にボートを譲った機関士バレット」と「ボートに乗った船主イスメイ」の対比もすごかったけれど、前半には、同年代ながら「新しい時代を拒絶する船長」と「新しい時代を受け入れるイシドール」という露骨な対比もありましたね。こんな偉大な父から仕事を継ぐイシドールの息子、イスメイみたいにならなきゃいいなといらぬ心配をしてしまいました。


 禅イスメイは「嫌なやつ」だけど「悪人」ではないですよね。どこまでも「凡人」なだけ。成功に喜び、調子に乗って過信し、失敗すれば反射的に保身に走り、そして後悔する。 こんなのどこにでもいる人間だし、規模の大小を問わなければ、誰にでも覚えのある経験じゃないのかな。


 史実ではその後「人の心を持たない獣」と人々に呼ばれ、非難されたイスメイですが、「どうせ誰も乗らなかった」というあの台詞も、「悪」や「冷徹」な台詞には聞こえなかった。むしろあれは、凡人で小物のイスメイが、自分が壊れないために自分に言い聞かせているように聞こえました。 傲慢で、小物ゆえの虚栄を張る、愚かで哀れな脆い禅イスメイ。


とても人間臭い。


 たぶん小規模会社のワンマン社長とか、このくらい、いやこれ以上に、傲慢で現場にいらん口を出してくる嫌な上司ってごまんといると思うんですよね。禅イスメイも一般市民なら、中小企業のワンマン社長程度なら、面倒なおっさんと思われつつも、まぁ平凡なりに幸せに暮らしたんじゃないだろうか。


 でも凡人のイスメイは、ホワイトスターラインという大会社の社長の後継者だった。一般市民として生きていれば、これだけ多くの人々に忌み嫌われることもなく、多くの人の命を背負うこともなく、それなりに幸せに生きただろうにと、ルイ16世やフランツに思ったことを思ったのは、禅イスメイだからかな。


 人間って、優しさと残酷さ、愛情深さと身勝手さみたいに、矛盾するようでも実は表裏一体な性質や感情をたくさん抱えた、とても複雑で面倒なものだと思うんですけど、禅さんは特に、役に乗せられる性質や感情が多くて、この複雑さや面倒さを1人の人間のうちに表現するのが上手だから、人間くさい役が上手いのかなと勝手に思っていました。


 語彙力も文章力も足りないし、そもそも推しの魅力が語りつくせるほど底が浅いわけがない。しかし考えるのは楽しい。


 「私の船だ」と言うときの「船」、アンドリュースはもちろん自らが生んだ建造物・個としてのタイタニックを指していますが、スミス船長は自らの支配空間としての船、って感じかな。船長にとってはたまたまそれがタイタニックだっただけ。イスメイにとっては会社に威光をもたらす物体でしかないから、それがなくなれば捨てる。


 「諍い」の3人は、船主として船長として設計者として事故の責任を負うのが嫌でなすりつけ合いをしているというよりも、自分の夢を壊した原因が自分自身にあるという事実はとうてい受け入れられないから他の人間を攻撃しているように感じました。


 そういえば、「飛べ!タイタニック」と歌い上げて出航して、ここでアンドリュースが「飛べない限り無理です」と言うのを聞いて、「うわあ」って思いました。


とはいえどのくらい意図的なものなのだろう、と思ってつぶやいたのですが、このつぶやきに対して「とても印象的だった」「初演では『飛べ』という歌詞ではなかったから意図的な可能性はある」など反応いただきました。


 また、これも教えてもらったことですが、最後にまた裁判のシーンに戻ってきて冒頭と同じ歌を歌うイスメイは、必ず「浮かぶ」の歌詞が歌えなくて泣くそうです。
「神にも沈められないはずだろう!」と叫び、夢も船も人々も沈むのを目の前で見たことを回想した後のイスメイは、もうこの言葉を口にできない。
なんというリプライズの妙。
これだからミュージカルのリプライズ大好きです。


 今回、トム版からミュージカル「タイタニック」に入って、BW版ではアンドリュースが「いつの世も」を歌うというのがなかなか想像できないんですよね。トム版は生き残ったイスメイの回想だけど、BW版ではアンドリュースがあの世で他の者たちと繰り返す「あの時」なのかな。エリザでルキーニな発想になってしまった。


 裁判にかけられながらイスメイが歌い始めて回想に入るのも、十分ルキーニかもしれませんが。


 エンディングとオープニングがつながり、イスメイもアンドリュースも、いつまでも繰り返しあの日あの時を回想し続ける。終わることも逃れることもできないのか、とエンディングを観て思いました。


 人によっては、開演前のアンドリュースを観て、「海の底で今も設計図を書き続けているんだろうか」と解釈する方もいたようで、その発想が無かった私にはとても興味深かったです。


そして海の底で設計図を書き続けるアンドリュースを「タイタニックにずっととらわれていてかわいそう」と思うか「思うように設計図を書き続けることが彼の幸せなんだろう」と思うかも、人それぞれのようで。


 BW版にあの開演前アンドリュースがいるのかは知らないのですが、海の底で今も設計図を書き続けるアンドリュースが「いつの世も」を歌って物語が始まったら、それこそルキーニが語るエリザベートだなぁと思ったり。


 この「今も設計図を書き続けるアンドリュース」説が大好きで、私もいろいろ考えたんですが、でも私の解釈は「生前、タイタニックを設計しているアンドリュース」かなと。アンドリュースがどんな顔をしながら、どんな様子で、タイタニックを生んだか。それは「タイタニック」の物語に必要なことのはずだけど、出航のあの日から始まるイスメイの回想そのものであるこの物語にとっては前日譚だから「開演前」の扱いなのかなと。

 

 そういえば、アンドリュースの最期のシーン。アンドリュースが最後手すりにぶら下がり、落ち、暗転した後で、手すりの前に立って歌っているのを観たときは「ジーザス・クライスト・スーパースター」って思いました。
 物語の登場人物が死んだ後で超越した語り手になって甦るのはユダっぽいし、手すりを背にして立っている姿はジーザスっぽいなと。


 舞台中央の上空で歌うアンドリュース、十字架に磔になったジーザスと同じ位置ですよね。タイタニック号という十字架に磔になっているジーザスですよねこれ。


 個人的に、アンドリュースってそんなに悪いことした?って思っちゃうんですよね。美しさや金のために故意に隔壁の高さを低くしたのならまだしもですが。これで「諍い」で船長や船主と同様に責められるのは気の毒だなと思いながら観てました。まぁだから作中でも後世の評価も悪くない人物なんでしょうけど。そういうところもちょっとジーザスっぽい?

 作中で語られてないことを織り込むのは何なんですけど、アンドリュースは、沈むとわかってから少しでも人々の浮き具になるようにとデッキのチェアを海中に放り込んでいたというエピソードがとても印象的で。
 加藤アンドリュースは、本当に必死になって放り込んでそうなアンドリュースだなと。そうしてる姿が目に浮かぶ。


 作中にないエピソードをついでにもう1つ、イスメイは沈むとわかってから、「こんなボートで夜の海に出るよりタイタニックにいたほうがいい」と言う乗客を必死に説得して回ってる時間があるんですよね。特に、船員が言っても聞かない一等客たちを。それをきっぱり断った客もいた。


 そんなことが頭にあったから、余計にイスメイの「どうせ誰も乗らなかった」の台詞が印象に残ったんですよね。


 私も軽く調べた程度ではありますが、今回作中に登場しないエピソードはまだまだたくさんあります。また、沈没原因と考えられるものも、陰謀論めいたものも含めて山のようにあります。作中にも出てくる安全性への過信や組織の硬直は、大きな失敗を呼ぶ「タイタニック症候群」として安全管理や経営論で語られるわけですが、一方で調べれば調べるほど、単純ミスと不運の連続が事態を悪化させていて頭を抱えました。
 イスメイに対するアンドリュースの「神が見捨てなければ」みたいな台詞があったと思うんですけど、ほんと「神に見放された」のではというくらい不運が重なってるんですよね。出航時のイスメイの台詞も含めて、なんかちょっとバベルの塔


 スミス船長はイスメイとは別種の、よくいるちょっと面倒な上司ですよね。壮麻スミス、もっと「良い人」造形が強いのかと思っていたけど、この面倒さが強めに出ていて、沈没原因としてイスメイとのバランスがちょうどいい。ちょっとこの頑固さや面倒さ、どこかでと見上げた船長の立ち姿が、何度も夜のボートの老フランツに見えました。


 中年男の渋さと恰好良さと渋さと男気を煮詰めて煮詰めて人の形に成形したら栗原エドガーで、それに熟練執事の皮を1枚かぶせたら戸井エッチスですか?


 エッチスは優雅に一等客に接客しているけれど、エドガーと同じく超えられない壁として一等と二等の壁を誰よりも意識している人間だし、似た者同士で気の合う2人でしたよね。2人とも煙草を吸うシーンがかっこ良すぎてびっくりだわ。特にエッチスの夜闇に浮かぶシルエットとぽつんと浮かぶ煙草の火。


 今回さんざん泣かされたバレットの藤岡正明さん。CDで聴いていいなぁとは思っていたのですが、初めて生で観たら想像以上でした。それより若い皆様(一定年齢以下は認識できない仕様で申し訳ない)も歌い始めるたび「うまっ!」とびっくり。上手い人ばかりで耳福。その頂点があの2人のモンスター(笑)(アフタートークママ)か。


 唐突に推し萌え語りに戻ると、さすが大会社の社長、素敵なスーツにコートにタキシード、立ち居振る舞いも上流の美しい動きで、眼福眼福。前から2列目センターの超良席でしたが、それゆえ晩餐シーンはキラキラ禅イスメイが美しいアイダ=ストラウス様と丸被りでほぼ見えなかったのだけちょっと残念。


 でもそれ以外は、細かい表情から涙まではっきり観えるし、客席降りも超間近でガン見できたし、1回のみの観劇をこの席でできて本当にありがとうございましたZ-Angle様。氷山後の混乱のシーンとか、姿は見えなくても奥からオフマイクで「氷山!」「氷山!」と複数人の船員の声がしているのも聞こえた。


 禅イスメイのダンスシーンはダンスもタキシード姿も素敵でかっこよかったし、浮かれている禅イスメイはとても可愛かった。そして後ろ姿萌え。歩き方萌え。立ち方萌え。書き物している後ろ姿萌え。

客席降りして、微動だにせずただ前だけを無表情に見つめる姿にも纏う緊迫感にもただただ魂を奪われ、見とれていました。



 救命ボートのシーンについては、後日、Twitter
エドガーがアリスを見送る時にオフマイクで『だいじょうぶ』『愛してるよ』って穏やかな笑顔で言ってる」
というツイートを読んで想像しただけで泣いてしまいました。 栗原エドガー、船に残ってからの「名乗り」も惚れ惚れしたけど、ほんっといい男だな。これは大河の話の1本や2本くるわ、と思った。


 また、別の日には、
「裁判でイスメイに詰め寄っているうちの1人が、出航時にベルボーイの背中を笑顔で押して船に乗せてるのに気づいてしまった…ベルボーイのお兄ちゃんだったのかな」
みたいなのを読んで「あああああ」となっていました。


 他にも気づいていない演出がまだまだたくさんあるんだろうな。ほんとこの演目は目がいくつあっても足りないし、何回観ても足りない。(二度目)


 愛妻家と言えば佐山さんのイシドール。今は穏やかな老紳士で素敵だけど、目の奥にキラリと光るものもあって、バリバリやってる頃のイシドールさぞかっこよかったんだろうな。(意訳:佐山さんのジャベール観たかった)
  スミス船長との対比といい、避難するメイド達への行動といい、ストラウス夫妻は良いところしかなくてずるいくらい。


 また余談ですが、アイダが最期に自分のメイドに渡した毛皮のコートは、その後の寒さから彼女の命を救ったそうです。生還したメイドは2人の娘にコートを返しに行き、娘は「母が貴方にあげたものです。母の思い出とともに貴方が持っていてください。」と受け取らなかったとか。家族そろって人格できすぎでは。


 これはストラウス夫妻に難癖をつけるものではなく、本当に優れた人物だったから掘れば掘るほど美しいエピソードが出てくるんでしょうけど、この真逆がたぶんイスメイですよね。
 もともと人に好かれるタイプではなかったらしいとはいえ、事故後のイスメイの叩かれっぷり(「イズメイ」という名の街が改名するほどの騒ぎもあった)を見てると、彼の悪い面、悪いエピソードほど誇張され拡散されたきらいはありそうだなと。

 カルパチア号の毛布にくるまった生存者の告白シーン、あの小さな声で静まり返った劇場中に響く禅イスメイの
   「ボートに乗って、何が悪い。どうせ誰も乗らなかった」
 このシーンの禅さんの芝居がもう震えるほど素晴らしいわけですが,同時にこの台詞は元ネタがあるのか完全創作なのかとか、禅イスメイの芝居を機に、史実のイスメイにも興味が出てきてしまいました。

 なんだか脱線しましたが、音楽も演出もキャストも、とにかく何もかもが素晴らしい作品でした。
禅さんがこの作品に、この役に出会えて良かった、それを観ることができて本当に良かったと思っています。


 そしてトム・サザーランド版ミュージカル「タイタニック」日本公演の再演を、円盤化を、そしてできればまた石川禅さんが出演されることを希望して、結びとします。


 どうもありがとうございました。