hyuga_kabocha(まっきー)のブログ

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ディズニー『ウィッシュ』日本語吹替版の感想

 もともとあまり興味が無かったディズニーの新作『ウィッシュ』ですが、吹き替えキャストに鹿賀丈史さんがいる(※主人公の祖父・サビーノ役)と知って光速で掌を返して初日に観てきました。

 ネタバレ無しの感想はこちら

https://x.com/hyuga_kabocha/status/1735515341336490469?s=20

に書いていますが、以下、ネタバレ気にせず感想を書いていきます。

 

 まず、サビーノ!ディズニー100周年記念作品で100歳になるサビーノ!もしエンドロール後を観ていない人はすぐもう1回観に行ってエンドロール後まで観てきて!

「人々の心を動かす曲を作りたい」と言っていたサビーノが、最後に『星に願いを』のメロディを奏でて終わる、人々に歌い継がれる「星に願いを」を作って終わるこのエンドは大好きです。この作品がサビーノの「星に願いを」で終わったので、ディズニーキャラクターたちが「星に願いを」を歌う『ワンス・アポン・ア・スタジオ -100年の思い出-』は、この後にも観たかったかも。

 同時に、舞台はともかく映像ではこのところ黒幕、犯人、悪役、黒幕、みたいな役ばかりだった鹿賀さんが、平凡で元気でかわいくて、「次世代に残る何かを作る」おじいちゃん役だったことがとても嬉しいです。孫の頑張りを見て島から小舟を漕いで引き返すところのサビーノもかわいかった。

 でもこれに加えて歌ってくれてもよかったんですよ!?マンドリンを弾きながら歌ってもよかったんですよ!?よかったんですよ!?!?!? 鹿賀丈史サビーノの「星に願いを」を聴かせて!?!?!?!?!?!? 

 せめてグッズでサビーノが「星に願いを」を奏でるオルゴールを作ってくださいこれはグッズとして絶対に必要だと思うのです!!!

 

 作品に戻ります。家族と平和に暮らす願いを傷つけ奪われたことで、願いを守る国を作ったところから始まったマグニフィコの何が悪かったか考えているけど、何のためにどんな願いを預けるのか、何を基準に叶える願いを決定するのかを国民に説明していないところと、人々の願いを人質にした支配システムを作って王という地位と国の安定を優先させたところかな。器の小ささから一気に闇落ちジェットコースター以降はもう完全にどうしようもないけど。

 「私はハンサム」と歌うハンサムな壮年としての説得力と王として支配を取り繕えるくらいの絶妙なカリスマと癖の強さ(※褒めてる)の総合力で、日本版に福山雅治のキャスティングは良かったと思います。

 マグニフィコは、謎の光を「あれは紙が我が国と私を認めた証拠だ」くらいに思って民衆にそうハッタリを言って利用できる人間だったらまだ幸せだったかもしれないけれど、あそこで不安を感じて闇落ち真っ逆さまなあたり、ナルシストっぽいけど根本の部分では自分に自信がない。自分のことは好きだけど、自分や他人を信じる力がないみたいな設定なのかな。自分や家族を信じることができるアーシャとの対比で。

 

 しかし説明不十分な部分はあっても、そもそも「願いを忘れる」ことが事前にわかっていて、国民が自分の大事な願いを預けていたのはちょっとびっくりしました。願いを忘れることはわかっている=自ら叶えることは完全に諦める、ということですからね。違和感があるけれど、自力で億万長者になれないから宝くじを買うようなものと考えればそこまで不思議でもないのかな。願いを忘れるわけではなく、ただ預けておけばワンチャン叶う、ということならかなりの人が預けるだろうなとは思った。

 

 王としての地位と国の安定を最優先にして変革を望まない王と、願いを全て王という完全他人の他力に預けてしまえる国民たちによる平和の中では、「人々の心を動かす」サビーノの願いは危険というのもわかるけど、人々の心を動かすものがダメだったら心を動かす芸術も文学もロサス王国ではダメなわけで。それともサビーノがもっと具体的に、国を脅かすものではないことをはっきりとさせて願っていたらマグニフィコはOKを出したのだろうか。でもそうすると「願いは誤解のないよう具体的にはっきりと」な話になっちゃうか。

 

 王と王妃の関係と結末が意外でした。闇落ちした王が杖を王妃に向けて力で脅して従わせた時点で信頼関係は決裂なんだろうけど。夫よりも正しい者がいたらその者を選べる聡明さをもち自立した王妃が次の王となるということなんだろうけど、王妃は王の作っていた願いの人質システムは止められなかったのかなともちょっと思ってしまった。王妃もこの物語中に成長して変化したのか、歪んでいく夫に違和感を覚えつつも愛情を捨てきれなかったのがついに愛想が尽きたのか。最後に地下牢にとか言うあたり、物語中では触れられていないだけでいろいろと蓄積してはいたのかな。

 

 話としては、スターの出現、星の光をきっかけに、「願いは他人に叶えてもらうものではなく、自分で叶えるもの」と人々が気づき、自ら叶え始めたところでスターは帰っていく。

 星に願うのは、星に願って終わりで叶えてもらうのを待つのではなく、自らの願いに気づいて叶えていくためで、星の光はそれぞれの願いを明るく照らしてくれるもの、ということかな、と受け取りました。

 

 テーマが「願い」という漠然としたものだから、プロモーションが難しそう。個人的には、最初にアーシャが願いの玉を見たときにマグニフィコとアーシャが歌う曲が現状のこの国と「願い」の設定の核心で、映像も綺麗で物語の掴みとして良さそうと思ったけど、音楽として頭に残るのはやはり宣伝で使われているアーシャのソロとマグニフィコのヴィランソングソロなのかな。

 

鹿賀さんのサビーノが世に知れ渡ってほしいですし、ヒットするといいなと思って見守っています。これを機に、鹿賀さんに「星に願いを」の歌唱を依頼するテレビ局はどこかいませんか!?!?!?

 

♦追記♦

ウィッシュの物語以前の、この王と王妃の関係、ロサス王国の建国の歴史がもっとあるとその後の物語の見え方が変わる気ががするけど、尺的に無理だったのかな。100周年作品としてはやはり少女の物語にしたかったのか。できればウィッシュのエピソードゼロ、マグニフィコとアマナの建国までの物語が観たい。アマナ視点でも面白そう。