hyuga_kabocha(まっきー)のブログ

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ミュージカル「デスノート」の勝手解釈&妄想

▼ミュージカル「デスノート」の感想,というより勝手な解釈と自己分析と妄想をつらつらと。
ネタバレ有り有りです。役者さんへの感想は,昔つぶやいたのでここには書いていません。
 
▼月は「愛されて」いたのか
今回,書き始めた動機は,実はCDから総一郎の部下たちの歌がカットされていたからです。
というと何のこっちゃわからないかもしれませんが,最初に観たときなぜか私が一番ぐっときた歌が部下たちの歌で(※松田が「子どもがいるんだ」と歌ったときは顎が外れるかと思うくらいびっくりしましたが),自分でも理由がよくわからなかったのです。
レムがミサを想う歌もじんと来たけど,ミサや総一郎が月を想う歌は,「想いの強さ」はびしびし伝わってくるのに,すごいと感じるのに,なぜか涙は出てこない。
もっと言うと,同じ鹿賀さん演じる総一郎でも,映画はすごく胸に来るのに,ミュージカル版はなぜかそこまでは…という感じなのです。
 で,いろいろ考えてみると,ミュージカル版の総一郎とミサは,私が原作を読んだときに感じたキャラクターへの違和感を忠実に再現・増幅しているのです。
というのも,この2人は,月への「想い」はとてもとても強いけど,でも「月を理解しようとする」「月の幸せを願う」部分がとても少ない。私はどうもこの「相手を理解しようとする」「相手の幸せを願う」という要素に「愛」を感じて感動するようで,だからこそ部下たちやレムの歌のほうがじーんと来たようなのです。
そしてミュージカル版の総一郎と映画版の総一郎は,似ているようで,この部分がかなり違っているのではと。映画版の総一郎は(上手くいかなかったけど)キラを内に抱えた月と向き合い,理解しようとすることは可能だったのではとも思えるけど,たぶん原作やミュージカル版の総一郎は向き合えない。ひたすら「あの子はいい子だ」と「信じる」(意地悪な言い方をすれば,「願う」「願望を押しつける」)だけ。もちろんその想いは並々ならぬほど強く,月のための覚悟も背負っているのですが。
月もまた,総一郎を強く尊敬しながらも,理解しよう・されようと思っておらず,ミュージカル冒頭のディスカッションシーンでの教師との対話のほうがまだ,心を開いて本音を言っている気がします。
 
 
▼ラストの総一郎の表情
そして,ミュージカル版ラストの総一郎の,死んだ月を見るあの表情。悲しみとも怒りとも絶望とも言えない,無表情なのかもわからないあの表情は何なのか。
同じ場で,月の死そのものを受け入れきれず呆然としている粧裕と違って,総一郎は月の死という事実自体は受け入れて,かつあの表情をしているように思えます。
最初に観たときは,氷のように冷たい無表情に見えて,「たとえ我が息子だろうが,キラならば罰を受けて(自業自得で)死んでも仕方がない」と思って冷たく見下(お)ろしてるんじゃないだろうか,と思ったのですが,2回目に観たときにそれもちょっと違うなと。
2回目では,終盤近く,Lに「息子さんがキラ」と指摘されたときに総一郎が言った(絶叫した),「ならばその罰は私が受けなければならない!!!」がやたら印象に残りまして,ラストの総一郎は「息子の死」を「自分への罰」と捉えたのではないかと。
そうすると,月の死への悲しみでも絶望でもキラへの怒りでもないあの表情が,個人的にはちょっと納得できるかなと。

 
▼誰がキラ?@捜査本部
余談ですが,たぶん残された人間の中で,月がキラだと(感覚的にだけど)確信を持っているのは総一郎だけで,残りの人間は誰がキラか確信は持てないのではと。
 Lは,自分で持ち出した拳銃で自殺している。(デスノートで自殺と指定された可能性もある)
月は,その拳銃で足を撃たれたものの,死因は心臓まひで,デスノートによるものと考えられるがそれも100%ではない。
たぶん,どちらがどちらを呼び出したかの証拠は残っていない。Lをキラに仕立てようとした月が偽造している可能性があるが,Lがキラなら,デスノートで月を殺すのに,わざわざ呼び出す必要はない。
月がキラなら,キラがなぜ心臓まひで(デスノートで)死んでいるのかは不明。第2のキラに殺された説も出るかもしれないが,この後,キラによる殺人も第2のキラによる殺人も起こらないので,おそらくキラは死んだこの2人のどちらかまたは両方。または,キラの目的はこの2人のどちらかまたは両方を殺すことで,目的を完遂したので殺人をしなくなった,くらいまでしか残された人には考えられないような。
あ,つらつら考えただけで↑穴がいっぱいあると思うので,あまり気にしないでください。
 
 
▼ミュージカル版こそ「死神」
もう多くの人が書いているのでわざわざ書く必要もないかもですが,月をデスノートで殺したリュークが,月の上着の左胸から突然取り出してかじった林檎。
あの状況で月が林檎を胸ポケットに入れているとは思えないし,おそらくは「月の心臓(命)」の比喩ですよね。林檎=命だとすると,リュークが序盤で語る「死神にとって,林檎は酒や煙草みたいなもん」という言葉が違う重さで聞こえてきます。リュークにとって,人の命は(月の命も含めて)暇つぶしでしかないと最初に言っているという。
あと,観劇2回目でドキッとしたのが,冒頭の死神デュエットの
「人間なんて 指をこぼれる砂をすくい続けて」の歌詞。これをレムが歌っているわけで,ラストを考えると何とも複雑な気分になります。その「すくわれる」砂になったレム。「すくわれる」は「掬われる」なのか「救われる」なのか,なんて考えるのはさすがに感傷的過ぎるというか,拡大解釈が過ぎるなと自分で思いますが。
 リュークに話を戻すと,ラストはリュークが月を殺すというのは原作から共通ながら,月が負けたのを見届けて引導を渡す原作に対して,月が完全勝利した瞬間に月の命を理不尽にもぎとり,勝利の高みから絶望の淵に叩きこんだミュージカル版のリュークはまさしく「死神」だなぁと。あれだけ好き放題にアドリブ入れて笑わせておちゃらけて,客がリュークは死神であることを忘れかけてお笑い担当くらいに感じるようになったところで,最後にゾッとするような死神の顔を見せつける。
 原作は「デスノートをめぐる1つの話」,という感じでしたが,ミュージカル版は「死神リュークの掌上で起こった1つの話」という印象を受けました。
 


▼さて,上手い締めは見つからないので,
「浦井版と柿澤版でCDをそれぞれ出してくれたのは大変ありがたいけど,ストーリーぶつぶつだし,やっぱりDVDで見たい~,出して~」